今年の5月から修理をしていた 足踏みミシン
1914年(大正3年)アメリカ製
夏休みの後半に 修理が完了しました
108歳のおばあさん それなりに若返り 軽やかに動いてくれています
お盆の頃に 八幡浜の旧坂本歯科で 戦時下の八幡浜 を紹介する展示を見学
貴重な建物を残そうと 有志の方たちが廃屋をきれいにされていました
廊下に ほこりをかぶった大きな蓄音機
扉は壊れ ハンドルのつまみもなく あちこち割れて 塗装も劣化しております
その晩 そのヒトのことが 脳裏から離れず
次の日には 修理を申し出てしまいました
調べてみると1924年 アメリカビクター社製 VV-210 98歳です
固まったゼンマイモーター(強力なゼンマイ2丁)もばらして 再グリース
木製のケースも 割れや隙間を直し シェラックニスでフレンチポリッシュ仕上げ
ミシンと同様 ねじ一本まで 磨き上げます
カビにまみれたSP盤たち(LP以前の ごつくて割れる78回転レコード)もきれいにして
何十年ぶりに 98歳の Victorola 嬢に 唄ってもらいます
鉄針(英国でまだ製造中!)は片面ごとに交換
竹針で聴くヴァイオリンには 魂を奪われます
電気増幅しないその音は たとへば コオロギがそこで鳴いているような 生の音
やはり蓄音機は「特別な音」( 妻の感想 )でした
残されたSP盤に 戦後のものは 一枚もありませんでした
元の持ち主が 生前に聴いていたのと 同じ音で
返すまで 大事に だいじに 秋の夜 聴かせてもらっています
芸術(美術)仙波
夜散歩に出かける。秋冬は星が美しい。空を見上げながら歩く。流れ星に遭遇することあり。10月22日はオリオン座流星群最大の日であったが、あいにくその晩は晴れなかった。その数日前に、関東甲信越地方で火球(非常に大きな流れ星)が目撃されている。YouTubeで検索。ハワイのマウナケアで星空のライブ中継をしている。25日の夜見ていると、左上から真下に大きな丸い光が。画面が一瞬真昼になった。最大級の火球である。
オリオン座は星雲でも有名。鼓の形をしていて、右下の星がリゲル、左上がベテルギウス。双眼鏡でのぞくと、ベテルギウスは赤く不安定に輝く。赤色超巨星の星は、太陽系に置いてみれば土星くらいまでの大きさがあるのだとか。
明日は高校祭。今年は高校祭スターが誕生するか。
一口日記
カメムシの季節である。
本館4階の私の教室の網戸にもマルカメムシが何匹も引っ付くようになってきた。
カメムシは日の当たる白い箇所に集まる習性がある。
彼らが集まるのはこの部屋が日当たりがよいという証拠なのだろう。
一人暮らしを始めた一年目、初めてマルカメムシを見た。
当時住んでいた部屋のベランダは彼らの集会所であったようで、異様な数のマルカメムシが出現した。
あの異様な光景を今も忘れることはない。
それから彼らとは仲良くできていない。
南予に引っ越してきてカメムシのことを「じゃくぜん」と呼ぶことを知ったが、中には愛着を込めてなのか「じゃっく」と呼ぶ生徒もいる。
私が彼らを「じゃっく」と呼べる日は永遠に来ないだろう。
大洲から通勤しています。
今日は家を出るときに霧がすごかったです。
梅川の峠から大洲市内を見ると霧につつまれていました。峠は快晴。
野村の霧もすごかったです。
寒くなりました。体には気を付けましょう。 門田
野村高校に転勤してから、早4年。
前任校と比べ、通勤距離と時間が大幅に増えたことを覚えている。
長い通勤の中で、ドライブそのものを楽しんだり、好きな曲を聴いたりして時間を使っていた。
少し話は変わるが、私はあまり読書に時間を使えていない。
読書は嫌いではないが、他の時間を優先してしまい、後回しにしてしまっている。
その読書不足をこの通勤で少しでも解決できるのではないかと思い、今年度から「聴く読書(オーディオブック)」を利用している。
声優さんがアフレコしており、大変聴き取りやすく、通勤時間を充実させることができている。ここ半年だけでも、20冊ほど聴き終えている。
今の1年生を卒業まで見届けるため、最低でもあと3年ほど勤めたいと思っているので、通勤時間をより効率的に活用していきたい。 数学科 三好
一口日記
3年2組 音楽の授業風景です。
ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の中の1曲
「エーデルワイス」のギター演奏に挑戦しています。
主旋律と伴奏のパートに分かれ
タブ譜というギター演奏のための楽譜を見ながら熱心に練習中です。
始めはバラバラだった演奏が、少しずつギター二重奏らしく
聞こえるようになってきました。
矢野先生の練習終わりの合図が聞こえるまで
誰も手を休めることなく、ギターと真剣に向き合っていました。
もうしばらく練習を重ねれば
スイスの山々に咲く可憐なエーデルワイスの花が思い浮かぶような
素敵な演奏になることでしょう♪
支援員 土居
一口日記
SHRの時間に何回か来ていただいた副担任の小西先生の発案で
「へぇー!そうなんだ!」とみんなが驚くことを
2-2の生徒が次々発表してびっくりしたことがあります。
今回は、私の「へぇー!そうなんだ!」を
皆さんに紹介したいと思います。
皆さんは
俳優の菅田将暉さんのご両親のことをご存じですか?
両親ともに書籍を出版されるほどの著名な方で、
父親は関西では有名な放送ジャーナリスト・経営コンサルタント、
母親は美容サロンの経営をされています。
そのことにも大変驚いた私ですが、
「へぇー!そうなんだ!」と超ビックリしたのは、
母親が出産の選択肢として
「出産は病気ではないから自然の力に任せたい」という意向で
自宅でのお産を希望されて
菅田将暉さん(長男)も弟2人も全員自宅での出産だったことです。
今は立ち合い出産で父親も分娩室に入りますが(コロナ前)
それはあくまで見守りだけですよね。
助産師の立ち合いもなく、
菅田将暉さんの父親が3人の息子さんを取り上げたそうですから
本当にすごいことだと思います。
(もちろんいろいろ勉強はされたそうです。)
しかも、2人目は逆子で
病院だったら絶対に帝王切開ですが、
水中出産で逆子のまま足から元気に出て来たそうです。
菅田将暉さんは2人目も3人目も出産に立ち会い、
「可愛い」「可愛い」を連発したとか…。
昔は自宅出産が主流でした。
現に私も自宅出産で産婆さんに取り上げて貰いました。
でも、今の世の中は普通に考えると、出産=病院ですよね。
普通に考えないことが
菅田将暉さんのご両親のすばらしいところです。
菅田将暉さんは歌も演技も上手な名俳優ですが
『この親にしてこの子あり』だとつくづく思いました。
菅田将暉さんのファンなら
とっくにご存じだった話かもしれませんが、
これが私の「へぇー!そうなんだ!」の
菅田将暉さんに関するエピソードです。
支援員 岡田
30年ほど前の話である。
当時、瀬戸町の教員住宅で暮らしていた。
夫婦とも教員だったので、
子どもを昼間は子守りさんに預けていた。
ある日、
長男が子守り先のばあちゃんから千円札をもらった。
これで、お菓子でも買いなさいと・・・・・。
就学前の長男はそれを近所の店で使った。
保育園の友達に大盤振る舞いしたようだ。
おごってもらった子の母親の知らせで、
この件が明るみとなった。
当然、私と家内は長男に対して、
こんこんと指導した。
お金の大切さ、お金の使い方、
買い食いはいけないこと等・・・・・。
長男は涙を流し、
ごめんなさいを繰り返した。
多分もうしないだろうと判断し、
長男を許してやろうと思った。
最後に、しょうちゃん(次男)が同じことをしたら、
お前はどうすると聞いた。
長男は「わからんようにするんよ」と言うと答えた。
私と家内は思わず笑ってしまった。
それまでの努力は何の意味があったのだろうか・・・・・。
発達段階に応じた指導ができていなかったようだ。
子どもの教育は難しい。
我が子の教育さえきちんとできないのに、
教壇で他人の子の教育なんで到底できないと思った。
現在、東京の長男は34歳になり2人の子の親となっている。
当時の私の年齢だ。
彼はちゃんと孫の教育ができているのだろうか・・・・・。
時代はまわり、めぐり、繰り返す。
いろんな事が起こるだろうが、
多分どれも笑い話になるだろう。
今となって実感する。
教育は焦らず急がずじっくり待つことが肝心だと。
牛舎 仲木